KYOTO LETTER 編集部
そっと差し込まれる、やさしい描写「京都の街並み」。 行間を読み解くように京都を読むことができる小説。 それが大前粟生さんの『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』という小説です。京都が好きなあなたならではの受け止め方も多くできるのではないでしょうか。
「京都でつながる本と私。」
この連載では、京都ゆかりの作家の書籍や、京都が舞台の物語を紹介しています。
今回は京都が舞台の小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』をご紹介します!大前粟生さん著、河出書房新社より出版された小説集、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』。4つの小説が収録されているこちらの単行本の中に、京都が舞台の物語が2つあります。
今回はそのうちの1つ、表題作である中編小説『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』にクローズアップしてご紹介いたします。
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』は京都で暮らす19歳の大学生たちの物語です。主人公が定まっていなく、つるっと目線が変わるのがとても面白い小説です。
やさしい京都の描写は常に横たわっているわけではなく、忘れた頃にそっと差し込まれています。大学入学ホヤホヤの若者たちが「ぬいサー」という、ぬいぐるみとおしゃべりをするためのサークルに足を踏み入れて、やさしい者の、生きる難しさについて悩みます。
一般に、すべての人に心やさしい面と、少し暴力的になってしまう面の両方があるという意見があります。対して『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』の中では、やさしい人はぬいぐるみと喋る人であり、それ以外の人とは隔絶をされているようにも読むことができます。また、怖いことをする人と、被害にあった人がはっきりしているようにも見えます。
19歳の大学生の男子学生1人と女子学生1人はある日、その境をうまく超えることができなくなってしまいます。「ぬいサー」に参加する事はもちろん、大学の授業に出てくることもできなくなってしまいました。一人暮らしの大学生が、誰かに「助けて」の一言を連絡することでさえ、できなくなってしまうのです。
友達であるということ。好きであるということ。恋人であるということ。
それらの境はとても曖昧で、区別をつけることは難しいものかもしれません。好きの種類を問うときに、あなたが基準にするものとは何でしょうか。
この2人の男女は『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』のラストに、ふたりきりの場で、最終的に互いを支え合うことができるようになります。「だいすきだよ」と伝え合うことができます。
その「だいすき」の種類について言及されないのが、『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』のポイントではないでしょうか。
相手がどういった意図で「だいすき」と言ってくれたのかわからないままに、私も「だいすき」だと返してあげることができる。それが『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』に登場するやさしい人たちです。以前に男であることの暴力性に悩んだり、女であることの恐怖を感じたりしていた10代の男女が、です。
片方が大学に来られなくなってしまったときに、相手の家まで会いに行く。サークルや大学を飛び出したときの2人の物語にそっと差し込まれる、やさしい描写こそが「京都の街並み」です。
京都の日差しや京都の建物、京都を歩く人々。
決して多くはない「京都」の描写の中に、京都が好きなあなたならではの受け止め方も多くできるのではないでしょうか。
行間を読み解くように京都を読むことができる小説。それが大前粟生さんの『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』です。
人と自分は違うかもしれない。やさしい者とやさしくない者の間にある壁で、隔てられているかもしれない。性別で変化するものがあるのかもしれない。
いろいろな苦しい気持ちにまみれながら生きているときに、ややこしい感情すべてを捨てて「だいすきだよ」と言える相手がいることを人はしあわせと呼ぶのかもしれません。
ちなみに、書籍『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』に収録されている2つ目の短編小説『たのしいことに水と気づく』も舞台が京都にあることが明記されています。こちらも行間を読み解くように京都を読むことができる小説です。ぜひ併せてお楽しみ下さい。
■詳細情報タイトル:ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい著者名 :大前粟生出版社 :河出書房新社 (2020/3/11)
※文庫版も販売されています
タグで検索