カラッとした空模様、雲もイキイキ・モクモクと躍動ある動きやカタチのものも多くなりましたね。日増しに暑さも増しているような京のまち。暑い夏を過ごすために、少しでも「涼」を求めて気持ちだけでも涼しげに過ごしていきたいものです。
夏の俳句でよく詠われる、「夏の霜」という季語。夏の夜の、月の光が地面や草を白々と照らし、さながら霜がついたように見えることを言います。「夏は夜。月の頃はさらなり。」と、枕草子の清少納言も昔から綴っています。日中の暑さをふっと忘れさせてくれるような、夏の短夜の風景が浮かびますね。
さて、今月で6回目となる連載のお手紙。私たちが生産している畑の様子や九条ねぎのコトについて書かせていただきます。
暑くなってこようとも、どこか涼しげで、スッと伸びゆく畑のねぎたちに逞しさを感じます。
夏の生産地は、亀岡・美山・京丹後と、山間地域であったり冷涼な気候で育てられるエリアで栽培しています。京都市内の産地とはまた異なり、どこも広さのある畑が多く、目の前いっぱいに広がるねぎ畑を望めます。
その分、苗を植える前の土づくりの頃は、一面土色、殺風景な風景が広がります。立派に育ってくれたねぎ畑を眺めては、「この景色を見たかったんだ」「暑い中でも、逞しく育ってくれたなぁ」と、生産者としての喜びを噛み締めます。
夏は猛暑との戦いと、もう一つ、台風も私たちにとって大きな天敵です。
農業を生業とするには常に隣り合わせのもの。自然の摂理のものとは言え、何度も台風による被害を受けては、ねぎたちの無残な姿に心を痛めてきました。
台風被害を受けた様子、見る人によっては、少しショッキングな写真かもしれません。
私たちは路地栽培のため、強風はダイレクトに受け、真っ直ぐ伸びていたねぎたちは根元から倒れてしまいます。倒れたものを収穫するには通常より労力もかかります。すぐに収穫してあげれない場合、そのまま置いておくと倒伏した状態から伸びようとして葉が曲がった状態になってしまい、加工場で苦戦することになります。また、雨上がり後に晴れて湿気がこもった環境になって病気になりやすくなったりと、台風被害のあとがとても大変なのです。
心を痛め、体力も奪われ、心身ともに疲弊してしまいます。「毎年これが続くのかな」と、農業を続けていく上での難しさを一番感じることかもしれません。
このまま被害を受け続けて終わらないよう、私たちは台風被害による影響を最小限にとどめるための対策を実施しています。台風は発生してしまうものですが、上陸まではある程度日数の猶予があったり、備えて準備できることがあります。
台風が近づいてくる間に、農産部門のメンバー総出で一斉収穫を行い、保冷庫で保管しねぎを守ります。立派に育ってくれているねぎたちを、倒れて被害が出る前に対策を施し、安定的にお客さまへお届けできるようにと取り組んでいます。
農産部門だけでなく、多くのねぎを保管できるように工場との協力や連携、営業事務からお客様への案内など、全スタッフで一丸となり、よくある言葉ではありますが「NEVER GIVE UP」と掲げ、みんなで乗り越えていこうと気持ちを一つにしていく取り組みを行なっています。「NEVER GIVE UP」の中に、「NEGI」と文字があるのもポイントです。
ふとした時に「頑張ろう!」ときっかけの一つになるように、畑に出ても目に付くところに貼っています。
今年も、「いつ訪れるだろうか」とそわそわとしていますが、「来るならこい!」という心持ちもあります。台風に負けないこと、少しでも畑の作物を守ることで、同じ空の下で働く生産者の方々にとっての希望にもなればと思っています。
7月の下旬から末にかけて、下鴨神社では夏の風物詩でもある「みたらし祭り」が開催されています。足つけ神事とも呼ばれていて、境内の御手洗池(みたらいいけ)に裸足で入り、蝋燭を持って参拝し、無病息災を祈ります。
私はよく、空気が澄んでいて太陽が登りきっていない早朝の時間帯に行きます。足もとからひんやり、静かで人も少なく、ゆったり楽しめます。最後に、ご神水を飲んで心身を清めてお参りは終わります(ふたば葵の絵柄がいつ見てもかわいいです)。
こうして友だちと朝から動き出し、神社でたくさんの緑の木漏れ日を浴びたり、帰りに開店しだすパン屋さんでパンを買って鴨川で食べる、という朝活をしていました。
京都観光もそうですが、朝早くから行動すると良いスタートが切れて気分も良いですよね。
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九条ねぎを通して、食で感じる豊かさや幸せを多くの方に感じていただきたいと願っています。
「九条ねぎの四季ってどういうことだろう?」「どんな物語があるのだろう?」という部分を、これからも季節に合わせてお伝えできればと思っております。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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